監修者:舘野義和(税理士・1級ファイナンシャルプランニング技能士 舘野義和税理士事務所)
近年、政府は働き手の賃上げを強力に後押しするため、企業向けの税制優遇措置を導入してきました。「所得拡大促進税制」や「賃上げ促進税制」は、税制優遇措置の代表例であり、適用年度だけではなく、対象者や控除率、適用要件など内容面でも大きな違いがあります。本記事では、両制度の相違点を詳しく解説するとともに、企業規模ごとの適用要件などを具体的に解説します。
所得拡大促進税制と賃上げ促進税制の違い
はじめに、2つの制度の違いについて、確認していきましょう。
所得拡大促進税制とは
所得拡大促進税制は2013年度税制改正で創設された制度で、賃上げを行う中小企業へのインセンティブという位置付けで設けられたものです。中小企業庁によると、以下のように定義されています。
青色申告書を提出している中小企業者等が、一定の要件を満たした上で、前年度より給与等の支給額を増加させた場合、その増加額の一部を法人税(個人事業主は所得税)から税額控除できる制度です。
出典:中小企業庁
所得拡大促進税制は、これまで複数回にわたって制度の見直しが行われてきました。令和3年度の改正では、賃上げだけでなく雇用増による所得拡大の取り組みも評価されるよう、変更されています。令和4年度税制改正では、大企業にも適用されるように対象企業が拡大されました。この令和4年の税制改正により、「所得拡大促進税制」が「賃上げ促進税制」へと引き継がれたのです。
所得拡大税制と賃上げ促進税制との違い
賃上げ促進税制は令和4年度税制改正で創設された新しい制度であり、「所得拡大促進税制」をベースにしています。令和4年4月1日より適用されており、所得拡大促進税制よりも内容が拡充されました。
控除額の水準の違い
令和6年4月1日より適用される最新の賃上げ促進税率では、大企業向け措置で継続雇用者の給与増加額の最大35%、中小企業向けでは最大45%が控除の対象となり、所得拡大促進税制を上回る高い水準が設定されています。所得拡大税制では、要件を満たした場合15%の税額控除がベースとなっていますので、控除額が大きくなっていることがわかります。
追加の控除要件の違い
賃上げ促進税制には、教育訓練費の支出額が一定水準以上であることや、くるみん/プラチナくるみん、えるぼし/プラチナえるぼしの認定を受けていることなど、追加の控除要件が課されています。企業は賃上げに加え、人材育成や次世代育成支援にも取り組むことが求められています。
企業規模ごとの要件や手続き方法の違い
また、企業規模によって控除対象や手続き方法が細かく定められているのも大きな違いです。なお、所得拡大促進税制の適用期限は2023年3月までとなっています。
賃上げ促進税制の適用要件
次に、賃上げ促進税制の具体的な適用要件を、中小企業、大企業、そして令和6年度4月より新設された中堅企業向けの3つに分けて見ていきましょう。
なお、適用期間は令和6年4月1日から令和9年3月31日までの間に開始する各事業年度です。賃上げ促進税制については、中小企業庁の「賃上げ促進税制」パンフレットを元にしていますが、今後の国会審議等を踏まえて施策内容が変更となる可能性があります。
大企業の賃上げ促進税制の適用要件
大企業向け措置では、継続雇用者の給与増加率と教育訓練費増加率に応じて、控除率が決まります。詳しく見ていきましょう。
◯適用対象
青色申告書を提出する全企業または個人事業者が対象です。
◯必須要件 |賃上げ要件
継続雇用者の給与等支給額が前事業年度より増加した割合により、税額控除率が決まります。
- 3%増の場合:10%
- 4%増の場合:15%
- 5%増の場合:20%
- 7%増の場合:25%
◯上乗せ要件1 |教育訓練費
教育訓練費の額が前年度より10%以上増加している場合、さらに税額控除率5%が上乗せされます。
◯上乗せ要件2|子育てとの両立・女性活躍支援
プラチナくるみん以上、もしくはプラチナえるぼし以上を取得している場合、税額控除率がさらに5%増加となります。
◯補足事項
大企業の事業者には、マルチステークホルダー方針の公表と届出も義務付けられています。
中堅企業の賃上げ促進税制の適用要件
令和6年4月1日以降に適用される賃上げ促進税制には、中堅企業向けの内容が新設されました。
◯適用対象
青色申告書を提出する従業員数2,000人以下の企業又は個人事業主です。ただし、該当する企業と企業との支配関係がある企業の従業員数が合計1万人を超える場合は対象外です。
◯必須要件 |賃上げ要件
継続雇用者の給与等支給額が前事業年度より増加した割合により、税額控除率が決まります。
- 3%増の場合:10%
- 4%増の場合:25%
◯上乗せ要件1 |教育訓練費
教育訓練費の額が前年度より10%以上増加している場合、さらに税額控除率5%が上乗せされます。
◯上乗せ要件2|子育てとの両立・女性活躍支援
プラチナくるみん以上、もしくはえるぼし三段階目以上を取得している場合、税額控除率がさらに5%上乗せされます。
◯補足時効
資本金10億円以上かつ従業員数1,000人以上の企業の場合、マルチステークホルダー方針の公表及びその旨の届出が必要です。
中小企業向け措置の適用要件
中小企業向けの賃上げ促進税制について、適用要件を解説します。
◯適用対象
青色申告書を提出する中小企業者等(資本金1億円以下の法人、農業協同組合等)または
従業員数1,000人以下の個人事業主が適用対象です。
◯必須要件|賃上げ要件
雇用者全員の給与等支給額が前事業年度より増加した割合により、税額控除率が決まります。
- 1.5%の場合:15%
- 2.5%の場合:30%
◯上乗せ要件1|教育訓練費
教育訓練費の額が前年度より5%以上増加している場合、さらに税額控除率10%が上乗せされます。
◯上乗せ要件2|子育てとの両立・女性活躍支援
子育てとの両立や女性活躍推進へ取り組むことも推奨されています。そのため、くるみん以上、もしくはえるぼし2段階目以上を取得している場合、税額控除率がさらに5%増加となります。
◯補足事項
中小企業の場合には、賃上げを実施した年度に控除しきれなかった未使用の控除額を翌期から最長5年間繰り越すことが可能です。ただし、未控除額を翌年度以降に繰り越す場合は、未控除額が発生した年度の申告で、「給与等の支給額が増加した場合の法人税額の特別控除に関する明細書」の提出をしなければなりません。
また、繰越税額控除をする事業年度において、全雇用者の給与等支給額が前年度より増加している場合に限っての適用となります。中小企業の場合、要件を満たせば、大・中堅企業向けの制度を活用することも可能です。
出典:中小企業庁|「賃上げ促進税制」パンフレット
賃上げ促進税制を活用するメリット・デメリット
賃上げ促進税制を活用するメリットとデメリットも確認しましょう。
賃上げ促進税制を活用するメリット
賃上げ促進税制を積極的に活用することには、大きなメリットがあります。ここでは主なメリットを5つに分けて詳しく解説します。
大幅な節税効果
賃上げ促進税制の最大のメリットは、給与増加額の最大45%までの税額控除を受けられることです。単に従業員に賃上げを実現できるだけでなく、税額控除により企業の賃上げ負担を実質的に軽減できます。
中小企業の場合、未使用の控除額は最長5年間繰り越せるため、節税効果を得やすいのもメリットです。通常の賃上げでは大きな経営負担となりますが、本制度を活用すればコストを大幅に抑えられます。
賃上げによる人材確保・定着
人手不足は多くの中小企業が抱える深刻な課題です。そうしたなかで、賃上げは優秀な人材を確保し、既存の従業員の定着を図る上で最も有効な施策の一つであるため、取り組みが推奨されます。しかし、資金面の制約からなかなか踏み切れないケースも多いでしょう。賃上げ促進税制を活用すれば、賃金水準の引き上げが実現できます。
従業員の教育訓練・スキルアップ支援
賃上げ促進税制では「教育訓練費の増加」が控除の上乗せ要件の一つとして課せられています。つまり、企業が従業員の教育訓練に投資しやすい環境が整うのです。これにより従業員のスキルアップやキャリア形成の機会が広がり、人材育成と企業の競争力強化を同時に実現できます。
ワークライフバランス支援による次世代育成
くるみん/プラチナくるみん、えるぼし/プラチナえるぼしの認定取得が上乗せ要件の一つとなっています。くるみん認定は、厚生労働大臣が「子育てサポート企業」として認定した証であり、えるぼし認定は女性の活躍促進に関する状況などが優良な企業の基準を満たしている証です。つまり、従業員の働きやすさの向上はもちろん、次世代育成にも寄与でき、働きやすさを高められるというメリットがあります。
出典:厚生労働省|くるみんマーク・プラチナくるみんマーク・トライくるみんマークについて
出典:厚生労働省|女性活躍推進企業認定「えるぼし・プラチナえるぼし認定」
企業の経営発展を後押し
賃上げ促進税制のメリットは、企業の発展に欠かせない従業員の処遇改善や人材育成、ひいては生産性向上や競争力強化が期待できることです。節税効果により低コストで賃上げを実施でき、その効果は大きな経営課題の解決につながります。とくに、中小企業の経営者にとって、積極的に本制度を活用すべき大きな理由があるといえるでしょう。
賃上げ促進税制を活用するデメリット
デメリットとしては、制度を適切に活用するための手続き負担や、賃上げ要件を満たすための人件費の増加負担があります。とくに大企業・中堅企業向け措置の場合、継続雇用者に限定されており、マルチステークホルダー方針の公表義務などの制約も満たす必要もあるため、準備に時間を要する可能性もあります。
白色申告事業者は適用できないことや、新規設立企業の場合、対象と前年度がなく制度が利用できないこともデメリットです。赤字企業の場合、控除すべき対象の金額がないため、赤字となった年において控除を活用することはできません。ただし、中小企業の場合は、赤字については要件を満たした場合の繰越控除措置が活用できます。繰越控除措置とは、控除しきれなかった分を5年間の繰越しできるものです。詳しくは後ほど紹介します。
賃上げ促進税制を確実に活用するための3つの注意点
賃上げ促進税制を確実に活用し、適正な税額控除を受けるためには、以下の3つの点に十分注意する必要があります。
新規設立企業・赤字企業の扱い
デメリットでも触れましたが、新規設立企業は、制度要件として「前年度よりも給与支給額が増加」していることが求められるため、賃上げ促進税制を利用できません。また現行制度では、赤字企業も対象外となっています。ただし2024年4月からは、中小企業の場合、要件を満たせば赤字であっても5年間の繰越し可能という措置が新設されたことにより、制度をより利用しやすくなりました。
具体的には、X年度に450万円の未控除額があり、翌年と翌々年が赤字で税額控除がなかったとしても、X+3年に売上が回復した場合は、X+4年に繰越し控除を利用できます。
出典:中小企業庁|「賃上げ促進税制」パンフレット
教育訓練費の対象者・範囲
賃上げ促進税制では教育訓練費の増加も控除要件の一つですが、その際の対象者は国内雇用者のみに限定されています。役員や使用人兼務役員、事業主の特殊関係者は対象外です。また対象となる費用にも、自社研修費用や外部委託研修費、受講費用など一定の範囲があります。
国税庁の「別表六(三十一)」で喚起されている記載ミス
中小企業向け措置の適用を受けるには、別表六(三十一)において適切な記載を心がけることが重要です。国税庁からの注意喚起がされるほど、記載ミスが多いことが指摘されています。
たとえば「比較雇用者給与等支給額」には、原則として前事業年度の雇用者給与等支給額を記載する必要があります。事業年度の月数が異なる場合や組織再編があった場合を除き、単に前年度の退職者分を差し引くなどの記載ミスがあれば、税額控除を適正に受けられなくなるリスクがあるため、注意が必要です。
参考:国税庁|別表六(三十一)を使用するに当たっての注意点(中小企業向け賃上げ促進税制の適用に当たっての注意点)
ますます強化された賃上げ促進税制に前向きに取り組もう
賃上げ促進税制は、賃上げ強化のための政府の施策です。企業の負担を少なくして従業員の賃上げを実現できるため、対象となる企業はぜひ利用を検討してみましょう。教育訓練や子育て支援、女性活躍支援などのワークライフバランスの強化にもつなげられます。
なお、企業が従業員に貢献できる取り組みには、賃上げ以外にも福利厚生を拡充させるという方法もあります。エデンレッドジャパンが提供する「チケットレストラン」のような食の福利厚生サービスなども活用し、より魅力のある企業を目指しましょう。