監修者:舘野義和(税理士・1級ファイナンシャルプランニング技能士 舘野義和税理士事務所)
2024年10月の衆院選で国民民主党が28議席(選挙前7議席)を獲得し、大きな注目を集めているのが「178万の壁」政策です。本記事では、現行の「103万の壁」からの変更点や導入時期、国民の暮らしへの影響まで解説していきます。
※本記事の内容は2024年11月時点の情報に基づいています。実際の制度改正の詳細や施行時期については、今後の動向を注視する必要があります。
103万の壁から178万の壁への変更で何が変わるのか?
「103万の壁」について耳にしたことがある人は多いでしょう。「103万の壁」は、給与収入に対する所得税の課税基準として1995年より長年親しまれていました。基礎控除48万円と給与所得控除55万円を合わせた103万円まで(2019年までは基礎控除38万円と給与所得控除65万円)の収入には、所得税がかからないという仕組みです。
「103万円の壁」が、今、大きな転換点を迎えようとしています。議席数を4倍に拡大した国民民主党が提案する改正案で、基礎控除を現行の48万円から123万円(+75万円)へと引き上げることで、非課税となる収入の上限を178万円まで引き上げようとしているからです。なお、給与所得控除の55万円は現行のまま維持される予定です。
【変更前(現在)】
- 基礎控除48万円+給与所得控除55万円=103万円
【変更後(案)】
- 基礎控除123万円+給与所得控除55万円=178万円
出典:国民民主党|国民民主党の政策2024
178万円の根拠とは?
国民民主党が掲げる「178万円の壁」における金額の根拠は、1995年に設定された「103万円の壁」と最低賃金の上昇率にあります。
厚生労働省「地域別最低賃金に関するデータ(時間額)」、「地域別最低賃金の全国一覧」によると、1995年から現在まで、最低賃金は611円から1,055円へと約1.73倍に上昇しました。同じ比率で「103万円の壁」を見直すと、178万円となります(103万円×1.73≒178万円)。
野村総合研究所の試算によれば、実現した場合の効果は以下のとおりです。
- 減税効果:約1,030億円規模
- 対象者数:約544万人(全人口の約4.4%)
- GDP押し上げ効果:約217億円/年間
賃金水準の変化を反映した基準への見直しは、経済全体にプラスの影響をもたらすと期待されています。
出典:厚生労働省|地域別最低賃金に関するデータ(時間額)、地域別最低賃金の全国一覧
出典:野村総合研究所|国民民主党の基礎控除等拡大策(年収の壁対策):1,030億円程度の減税規模で217億円程度の景気浮揚効果か
「178万の壁」はいつから始まる?
所得税を上限178万円まで引き上げる施策の検討について、11月中旬開催予定の特別国会から与野党協議が本格化する見通しとなっています。国民民主党の玉木代表は「引き上げを全くやらないのであれば、当然われわれは協力できませんから。そのときは予算も通らない、法律も通らない」と発言しており、強い姿勢を示しています。しかし、政府試算によると一括導入した場合の税収減少は7.6兆円に達し、財政への影響を考慮し、段階的な導入が有力案のようです。
出典:MBSNEWS|『103万円の壁』撤廃できる?国民民主・玉木代表「(撤廃を)全くやらないっていうことであれば、われわれは協力できない」と与党を牽制
出典:日本経済新聞|「年収の壁」178万円なら、国・地方7.6兆円税収減
所得税の課税基準「178万円」で社会保険料はどうなる?
所得税の課税基準を178万円へと引き上げすると、所得税の面では大きな改革となりますが、パートやアルバイト労働者の働き方により大きな影響を与えているのは社会保険料の加入が必要となる年収の壁かもしれません。
パート従業員の多くが気になっている「106万円の壁」と「130万円の壁」は、所得税の制度ではなく社会保険制度によるものです。具体的には、健康保険、厚生年金保険、雇用保険などの社会保険の適用基準として設けられています。
- 「106万円の壁」:勤務先の社会保険(健康保険・厚生年金保険)の加入義務が発生する基準。条件(※)を満たすと加入。
- 「130万円の壁」:配偶者の健康保険や厚生年金保険の被扶養者として認定される収入の上限を示したもの。超えると勤務先の社会保険に加入。
※条件
・週の所定労働時間が20時間以上
・賃金月額が88,000円以上
・雇用期間が2ヵ月を超える(見込みも含む)
・51人以上(厚生年金の被保険者数)の従業員のいる企業
・学業を主とする学生(昼間学校に通う学生)でないこと
出典:厚生労働省|パート・アルバイトのみなさまへ〜あなたの年金が変わる〜大切なお知らせ
所得税の基準である「103万円の壁」が「178万円」に引き上げられたとしても、社会保険に関する基準が変更されなければ、社会保険加入を避けることによる就労調整は続くと予測できます。
関連記事:【税理士監修】年収106万の壁にはどう対応すべき?企業におすすめの施策とは
関連記事:【税理士監修】年収130万を超えたらどうなる?130万の壁を徹底解説!
「103万円の壁」を178万円に引き上げるメリット・デメリット
所得税の課税基準178万円への移行は、私たちの働き方や収入に様々な影響をもたらすことが予想されます。ここでは、具体的な例を交えながら、そのメリットとデメリットを詳しく見ていきましょう。
178万円に引き上げるメリット
178万円に控除を引き上げるメリットを順番に解説します。
個人の働き方の自由度向上
最も大きなメリットは、働き方の自由度が広がることです。とくに以下のような方に大きな影響を与えます。
- パート・アルバイト従業員:より柔軟な労働時間の設定が可能になる
- 学生アルバイト:長期休暇中の集中的な就労がしやすくなる
- 会社員:基礎控除の引き上げによる減税効果がえられる
- 自営業者:基礎控除の引き上げ分(75万円増)による減税効果
たとえば、パート従業員のAさんの場合を考えてみましょう。現在、Aさんは月8万円程度(年収96万円)に収入を抑えて働いています。繁忙期に就労時間を増やしたいものの、103万円の壁を意識して就労調整をしている状況です。
178万の壁が実現すれば、Aさんは所得税を気にせず柔軟な働き方を選択できます。ただし、社会保険の加入基準(月収8.8万円以上)については別途考慮が必要です。これについては、デメリットにて後ほど解説します。
企業・経済への好影響
経済全体への好影響も期待されています。厚生労働省「労働経済動向調査(令和6年8月)の概況」によると、とくにパート・アルバイト従業員の人手不足に悩むのが小売業やサービス業です。既存のパート従業員がより長時間働けるようになることで、人材確保の課題が緩和される可能性があります。
出典:厚生労働省|労働経済動向調査(令和6年8月)の概況
社会保険加入で得られる手厚い保障
178万円の壁への移行は、もう一つの大きな視点を提供します。所得の増加に伴い社会保険への加入基準(月収8.8万円以上)を超える場合、確かに手取り収入は一時的に減少するでしょう。しかし、加入により将来の年金受給額が増加し、医療保険は充実します。傷病手当金や出産手当金といった保障も得られ、長期的に見れば家計の安定性を高めることが可能です。
関連記事:【社労士監修】2024年10月から社会保険適用拡大!変更点と扶養・パート対応を解説
178万円に引き上げるデメリット
一方で、「178万円の壁」施策では、すでにいくつかの課題が指摘されています。
社会保険加入が必要な「130万円の壁」は残存
最も重要なのは、社会保険との関係です。先ほどのAさんの場合で、さらに詳しく見てみましょう。
現在、月8万円程度(年収96万円)に収入を抑えて働いているAさんは、178万の壁により収入を増やせる可能性が出てきました。しかし、ここで注意が必要です。仮にAさんが月10万円(年収120万円)まで収入を増やそうとすると、月収が8.8万円を超えてしまい、多くのケースで社会保険への加入が必要となります。社会保険料(健康保険・厚生年金保険・雇用保険)の負担が新たに発生することで、手取り収入が実質的に減少してしまう可能性もあるのです。
このように、所得税の壁が緩和されても、社会保険に関する年収の壁は依然として働き方の選択に大きな影響を与え続けることになります。
税制控除との調整も不可欠
基礎控除以外の人的控除(配偶者控除、扶養控除など)の考え方も複雑です。基礎控除の引き上げだけでなく、配偶者控除や配偶者特別控除などの関連制度も同時に見直す必要があります。調整が不十分だと、かえって家計の負担が増えるケースも考えられます。以下表が示す年収ごとの壁への調整が必要になるでしょう。
年収 | 住民税 | 所得税 | 社会保険料 | 配偶者控除 | 配偶者 特別控除 |
100万円以下 |
かからない | 対象 | ー | ||
100万円 | かかる | かからない | |||
103万円 | かかる | かからない | ー | 対象 | |
106万円 | かかる場合あり | ||||
130万円 | かかる | ||||
150万円 | 段階的に減少 | ||||
201万円 | 対象外 |
減収による財政負担
財政面での課題も無視できません。政府試算による7.6兆円の税収減は、社会保障制度の維持や財政再建との両立という観点から、慎重な検討が必要とされています。
出典:日本経済新聞|「年収の壁」178万円なら、国・地方7.6兆円税収減
「178万の壁」検討で「130万の壁」も見直される可能性あり
178万の壁が実現したとしても、130万円の年収の壁は残ります。つまり、所得税の面では178万円まで余裕があるのに、社会保険の関係で130万円での就業調整が必要なケースは依然として存在するということです。
ただし、手取りを増やす意味で重要になるのは社会保険加入となる「130万の壁」の方だと他の党から指摘されている状況です。将来的には社会保険に関する年収の壁についても何らかの対応が検討される可能性があります。
出典:FNNプライムオンライン|【解説】103万円の壁の先に「130万円の壁」社会保険料支払いで手取り減る逆転現象も
国民民主党の政策内容も確認
衆院選で28議席を獲得し、与党が過半数割れとなった現状で、国民民主党の位置付けは重要なものになりつつあります。ここでは、「手取りを増やす。」を掲げる同党の政策の核心部分を、確認しましょう。
国民民主党政策の主張
国民民主党の玉木代表は「103万円の壁を引き上げ、働ける環境を整えたい」と述べています。財務省の税収に関する資料「一般会計税収の推移」によると、一般会計税収は1995年の51.9兆円から2023年には72.1兆円へと増加しました。一方で、連合「連合・賃金レポート2023<サマリー版>」では、実質賃金は1997年をピークに減少を続けています。国民民主党は増加した税収を国民へ還元し、働き手の収入を増やす方針を打ち出しています。
出典:財務省|税収に関する資料 一般会計税収の推移
出典:連合|連合・賃金レポート2023<サマリー版>
国民民主党の政策で得られる減税効果
具体的な減税効果は、収入層によって異なります。玉木代表のInstagram上で示した試算によると、年収200万円の場合は年間約8.6万円(月額約7,200円)の減税となり、年収の4.3%に相当します。年収が上がるにつれて減税額は増えますが、収入に対する割合としては、むしろ低所得者層の方が高くなる傾向です。
年収(給与所得) |
現在の税負担 | 控除引き上げ後の税負担 | 減税額 | 年収に対する割合 |
200万円 | 9.1万円 | 0.5万円 | 8.6万円 | 4.3% |
300万円 | 17.4万円 | 6.1万円 | 11.3万円 | 3.8% |
500万円 | 38.0万円 | 24.7万円 | 13.2万円 | 2.6% |
600万円 | 51.1万円 | 35.9万円 | 15.2万円 | 2.5% |
800万円 | 91.4万円 | 68.6万円 | 22.8万円 | 2.9% |
1000万円 | 141.5万円 | 118.7万円 | 22.8万円 | 2.3% |
【注目】40年ぶりの見直し機運が高まる食事補助制度
103万円の壁が30年間据え置かれてきたように、企業の福利厚生制度にも長年見直されていない課題があります。食事補助の非課税枠もその一つです。
食事補助の非課税枠とは、企業の従業員に対する「食事補助」は、以下の両方を満たすことで福利厚生費として認められることです。
- 食事価額の50%以上を従業員が負担していること
- 1ヶ月あたりの企業負担が3,500円(税別)以下であること
出典:国税庁|No.2594 食事を支給したとき
1984年に設定された月額3,500円の上限は、消費税導入や社会保険料の増加、さらには昨今の物価高騰があっても40年間見直されていません。このような状況に対して、2024年6月19日、534の事業者で構成される「食事補助上限枠緩和を促進する会」が、上限額を6,000円に引き上げる要望書を提出しています。
会の代表を務めるエデンレッドジャパンが提供する「チケットレストラン」は「年収の壁」を超えることなく、アルバイトやパート従業員の実質的な手取りを増やせる食事補助の福利厚生サービスです。所得税の負担が増えない形で提供でき、実質的な待遇改善を図れる手段として、3000社以上の企業での導入実績があります。
出典:株式会社エデンレッドジャパン|食事補助の上限枠緩和の要望書を自民党議員へ提出
「178万円の壁」控除引き上げ今後の動向を注視
国民民主党の「178万の壁」政策は、30年ぶりとなる大規模な所得税改革となる可能性を秘めています。基礎控除を75万円引き上げることで、パート・アルバイト従業員の働き方の自由度を高め、企業の人材確保にも寄与することが期待されています。ただし、社会保険の「106万円の壁」「130万円の壁」は依然として残るため、就労調整の必要性は完全には解消されません。
制度変更の過渡期において、企業が今すぐ実施できる従業員の待遇改善策として、食事を補助する福利厚生の活用が注目されています。なかでも「チケットレストラン」のような食の福利厚生サービスは、「年収の壁」を気にすることなく実質的な手取りアップを実現できる方法として、すでに3,000社以上の企業で導入されています。